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豊橋市北部に位置する石巻地区は、石巻(いしまき)・玉川(たまがわ)・嵩山(すせ)・西郷(さいごう)・賀茂(かも)の5校区で、豊川市、新城市に隣接しています。 四季折々美しい姿を見せる石巻山をはじめ吉祥山、長彦自然歩道など豊かな自然に恵まれており、また200基を越す古墳群と中世の城跡がいたるところに残る歴史の宝庫でもあります。ぜひ、石巻を訪ねてみてください。 本館で無料略図「石巻コミュニティマップ」提供中です。 石巻地区の古代史がわかるホームページ→「美和郷古代史研究会 石巻山の信仰」へ(外部リンク) |
カタクリ山(西郷校区) 永禄5年(1562年)頃、西郷清員(きよかず)が築城したと言われている「西川城」の城址斜面にカタクリの花が咲き誇っている。この山がカタクリ山。 カタクリはユリ科カタクリ属に属する多年草です。早春に10センチほどの花茎を伸ばし、 薄紫から桃色の花を先端に1つ下向きに咲きます。蕾をもった個体は芽が地上に出てから10日程で開花します。その後葉や茎は枯れてしまい、地上に姿を現す期間は4〜5週間程度で、群落での開花期間は2週間程度と非常に短い花です。カタクリの後、3月下旬には イチリンソウも咲いてきます。 |
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賀茂しょうぶ園(賀茂校区) 約1haの敷地に、江戸系・伊勢・肥後系(3系統)約300種、37,000株の花しょうぶが咲き誇る。5月下旬から6月中旬頃まで「花しょうぶまつり」が開催される。 30年度 花しょうぶまつり 5月26日(土曜日)〜6月10日(日曜日) ライトアップは日没〜午後9時 |
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次郎柿(石巻地区全体) 石巻地区一帯では次郎柿の栽培が盛ん。特に徳川秀忠の母「お愛の方:西郷の局」を輩出した西郷地区では、大正年間から次郎柿・富有柿の栽培が行われ始めた。多くの人々の努力・工夫・機械設備の発展などで出荷量も増え、全国に向けて出荷している。秋には柿の実が色づき始め見ごたえがある。その品質も高く評価されており、柿狩りを実施している園や道路沿いの柿販売所もある。 |
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石巻山の野草・陸貝(石巻校区) 標高358mの石灰岩でできた山。昭和27年(1952年)国の天然記念物(石灰岩地植物群落)に指定され、山上には1,000年以上の歴史を持つ石巻神社が祀られている。(市風致地区) 低木類…ステゴビル・マルバイワシモツケなど つる性植物…ツルマサキ・ホウライカズラなど 草木類…ギンカラマツ・イブキボウソウなど シダ類…キハダ・ヤナギイチゴなど 林床にはキツネノカミソリ・オドリコソウなども見られる。陸貝(カタツムリの仲間)イシマキシロマイマイ・ミカワマイマイなども生息している。 |
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その他 吉祥山の野草等(西郷) 長彦川のホタル(嵩山) 長樂のヒノキ(玉川) 〜市指定天然記念物 玉泉寺のナギ(石巻) 〜市指定天然記念物 |
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石巻神社(石巻校区) 「管粥祭」…上宮(石巻山中)で旧正月に行われる「管粥祭」は神田でとれた斎米を葦の管とともに煮て粥を作り、その年の豊作を占う。全国的にみても古い形を残しているといわれている。 大祭…下宮で4月に行われる(現在は4月第1土曜・日曜)大祭では参拝者に“ちまき”や“どぶろく”をふるまったり、赤鬼・黒鬼が獅子と境内を暴れまわり、病みよけの“たんきりあめ”と粉を撒き散らす。「豊橋鬼まつり」のもとになったともいわれている。 |
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賀茂神社(賀茂校区) 社伝によると、天平元年(729年)に京都の賀茂別雷命を祭神として、山城国から歓請したと伝えられている。徳川家康にまつわる話が多く残っている。4月半ばに開かれる祭礼では、「大旗神事」「藤四郎行事」「競馬くらべうま行事」などが行われる。 |
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椙本八幡社(玉川校区) 毎年、10月に豊作祭りとして「綱火つなび」が行われる。市無形文化財に指定され、ロケットのように花火を噴出させながら、綱を渡るのや、途中から逆噴射するものなどがある。 |
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正宗寺(嵩山校区) 山号は嵩山(すうざん)。丸山応挙の高弟であった長澤蘆雪の絵画を多く所蔵している。(国指定文化財:旧方丈壁画や釈迦三尊像)丸山応挙、伝狩野正信などの絵画も残されている。創建は鎌倉時代と伝えられ、中国の宋からわたってきた日顔禅師が開いた。また、西郷氏(お愛の方)菩提寺で家康からの拝領があった。 |
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その他 萬福寺(嵩山校区)…平安後期の作。県指定文化財「阿弥陀如来坐像」 十輪寺(石巻校区)…文殊菩薩 など |
馬越長火塚古墳(玉川校区) 馬越長火塚古墳は平地に築かれた前方後円墳で、完全に残された石室、全長17m、高さ3mあり、国造級の墓と考えられている。貴重な出土品(銀製の勾玉、金環、鉄製の鎌など)が発掘され、豊橋市美術博物館が所蔵している。 |
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萬福寺古墳(嵩山校区) 6世紀にごろにつくられた横穴式石室(円墳) 装身具や武器などを発見。 |
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神山古墳(賀茂校区) 6世紀前後の円墳で、完全な形で保存されている。 |
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権現山古墳群(玉川校区付近) 3〜6世紀頃の円墳群で、1号から4号墳からなる。 |
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宮西古墳(玉川校区) 3〜6世紀頃の円墳群で、路沿いにあるため見やすい。ぽっかりと横穴が見える。 |
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嵩山の蛇穴(嵩山校区) 縄文時代の遺跡(嵩山蛇穴遺跡)。 入口3.5m奥行き約70mで、入ることができる。近くに水量豊かな水穴がある。 |
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高井城址(玉川校区) 高井城は南北朝期、高井主膳正が築いたと伝えられ、石巻山城(城址碑:石巻)で北朝方に敗れ自刀。今もその場所を「高井殿おずる」という。 |
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そのほか、 五本松城址(西郷校区、西郷氏の居城) 月ヶ谷わちがや城址 16世紀頃、西郷氏の正員が築き、曲輪土塁が原形に近い形で残されている。 |
山本勘助の碑(賀茂校区) 山本勘助に関しては種々の異説あり 武田信玄の家臣として名高い「山本勘助」は、賀茂の照山に生まれ、牛久保城主「牧野氏」の家来大林家の養子になった。その後、各地で修行に励んだ。賀茂の本興寺に両親の墓がある。 |
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姫街道(石巻地区) 姫街道」は、万葉の昔から人々が行き来しており、江戸時代になると、磐田の見付から東海道をはずれ、気賀、本坂峠、嵩山、当古を経て御油で東海道に入るバイパス的役割をはたしていた。(全長61・5km)正式には本坂通と呼ばれるが、東海道が閉されたとき、「ひね(旧い)道」と呼ばれたのが、新居の関所を避けた女性のイメージと重なり、「ひめ街道」の名称が生まれたといわれている。日本橋から73番目の一里塚があり、嵩山には本陣があった。 |
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